「疎」のある暮らし
【Posted by 長野佳嗣 yoshitsugu nagano 】
今年の流行語は、、、「密」です!
そんな年末の場面がすでに見えてくるほど、春先から何回「密」を聞いただろう。今年の主役どころか、今世紀に残る言葉になるかもしれない。でも僕は、別の一字を推したいのである。「疎」を。
このパンデミックが東アジアを越え、世界全土に広がっていた最中、僕はニューヨークで茶人として暮らしていた。3月1日にニューヨーク市で初の感染者を確認。その後、絵に描いたように感染者数が増大。ピーク時市内だけで一日の新規感染者数は1万人に迫った。あまりに速いそのスピード。思考が追いつかないまま、事態をただ傍観するそんな日々だった。春に予定していたお茶ごとの予定は全てキャンセル。日本に戻ることにした。
3月末。羽田に降り立ちそのまま2週間のホテル暮らし。その後、実家のある愛媛に戻った。かれこれ実家に戻るのはどのくらいぶりだろうか。やることもないので、昼間からワイドショーを連日観たり、しばらくそのブルジョア生活を満喫した。でも人間飽きるのも速い。1週間もしないうちにテレビも観なくなり自然と本棚に手が伸びた。雑多な本の中で何気なくとったのが『方丈記』。いつ買ったのだろうか、、、思い出せない。なぜ買ったのだろうか、、、思い出せない。そして内容も、、、
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし」
その冒頭は、反射的に朗々と口から出てくる。日本文学史上屈指の名文は記憶の定着率も桁違いだ。 結局そのままの流れで一気に読み切った。
『方丈記』は鎌倉初期、鴨長明によって記された随筆である。京都下鴨神社の社家の次男として生まれながら、家督争いに巻き込まれ、さらに京の都を災害、政治不安、飢餓などが襲う混迷の時代を生きた人物だ。前半はそんな末法思想を思わせる時代の様子が克明に描かれている。後半、長明はそんな都の生活を捨て、家族とも別れ一人都のはずれに庵(いおり)と呼ばれる粗末な小屋を作り暮らし始める。部屋の広さわずか四畳半。これで十分と長明は言う。
上田宗箇流和風堂 数寄屋「遠鐘」外観 (広島市)
この四畳半、茶の湯の舞台である茶室の基本サイズでもある。日本最古の茶室と言われることもある銀閣寺東求堂にある同仁斎も四畳半。室町後期、四畳半の茶室を持つことは武家や堺の豪商らハイソな人のステータスだった。
「人」も「物」も「情報」も大量に交わる都会の「密」な生活。それらと距離をとり生きる長明らは隠者と呼ばれ当時の人々の憧れだった。トレンドは「疎」な生き方。ただ、そう簡単に全てを捨てて都会を離れての暮らしなど今も昔もそうそうできない。都会に生きる彼らはせめてもの思いで、自身の屋敷内に四畳半の簡素な小屋を建て、日常の中でひととき「疎」の風情を楽しんだ。これが茶室の原点である。待庵、如庵、密庵など茶室の名前に庵がつくのはこのためだ。
自宅の一室に畳を敷いた茶室 (ニューヨーク)
ふとニューヨークの自宅の記憶が蘇る。僕は自宅の一室に畳を敷き四畳半の茶の空間にしている。そこで毎朝湯を沸かし、茶をたてるところから一日がスタートする。他のことを何も気にしないその時間が心を沈め、そして不思議と活力をくれる。 玄関を出ればそこは大都会。自ずと「疎」の空間を求めていたのかもしれない。
実際、毎日四畳半の空間に身を置くと、長明がそのサイズにこだわった理由がよくわかる。落ち着くし、過不足がない。一人の人間が慎ましやかに生きるのに本当にぴったりなのだ。長明の庵と自宅の茶室が時間を超えてつながってくる。なんだか嬉しい。
終わりの見えないこのコロナとの暮らし。偶然手にとって読み返した『方丈記』が、「密」を避け暮らす先にある「疎」の豊かさに気づかせてくれた。年末の流行語発表が楽しみである。